福岡高等裁判所 昭和50年(ネ)241号 判決 1976年11月22日
控訴人 株式会社旭相互銀行
右代表者代表取締役 春山秀雄
右訴訟代理人弁護士 村田継男
被控訴人 有限会社信興商事
右代表者代表取締役 宮崎壮一
右訴訟代理人弁護士 河野浩
主文
原判決を取り消す。
被控訴人の請求を棄却する。
被控訴人は控訴人に対し金八九六万三、二七〇円およびこれに対する昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟の総費用および前項に関する裁判の費用は被控訴人の負担とする。
この判決は第三項に限り、仮に執行することができる。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決並びに仮執行の原状回復および損害賠償の申立として「被控訴人は控訴人に対して、金八九六万三、二七〇円およびこれに対する昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで、年五分の割合による金員を支払え。」との裁判を求め、被控訴代理人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決並びに控訴人の右申立に対し「控訴人の申立を棄却する。申立費用は控訴人の負担とする。」との裁判を求めた。
《以下事実省略》
理由
一 被控訴会社代表者宮崎壮一がその主張の相互銀行取引約定書、根抵当権設定契約書に連帯保証人として署名押印し、また約束手形の振出人欄に署名押印してこれらを控訴人に差入れたこと、被控訴人が控訴銀行別府支店に金額八〇〇万円、期間三か月、利息三分七厘五毛の普通定期預金をしたこと、控訴人が昭和四八年四月三日付書面で被控訴人の右定期預金債権と控訴人の被控訴人に対する債権とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたことはいずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、本件消費貸借の借主が誰であるかについて検討するに、《証拠省略》を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、
1 被控訴人は金員の貸付、金員貸借の媒介、土地、家屋の売買並びにあっ旋等を業とする有限会社で、控訴人とはかねてより取引があったものであるが、被控訴会社代表者代表取締役社長宮崎壮一(以下、単に宮崎社長という。)は昭和四八年三月一〇日頃、木島某から紹介された三浦隆一と名乗る者から、土地購入資金として金八〇〇万円ないし金九〇〇万円を融通して欲しいとの申し込みを受け、その母で不動産の担保提供者となる三浦ハツヱは銀行からの借受けを望んでいるとのことであったので、被控訴人から控訴人に定期預金をし、これを担保に控訴人から預金と同額の金員を右三浦隆一に貸出させ、右不動産につき三浦ハツヱに根抵当権を設定させれば、たとえ三浦隆一が債務を弁済せず、被控訴人の右定期預金が相殺されても、控訴人に代位し、右根抵当権を実行してこれを回収できるうえ、同人から仲介手数料を取ることができるので、有利かつ安全であると考え、同月一三日頃、控訴銀行別府支店の融資係長大坪定助(以下、単に大坪係長という。)および同支店の支店長田中芳輝(以下、単に田中支店長という。)に対し「大阪で鉄工場を経営し、別府市の銀天街で妻にスナックを経営させている三浦隆一なる人物が、被控訴人に金九〇〇万円の借入れを申し込み、被控訴人もこれを了承したが、貸出条件である不動産担保の設定につき、担保提供者が銀行でないと担保の提供をしないというので、控訴人から貸出しをして貰えないだろうか。控訴人には迷惑をかけないように、被控訴人が連帯保証をするほか、借受金と同額の定期預金をし、これを担保として控訴人に提供する。また不動産を担保として提供させる。」旨申し向けて、金員の貸出方を依頼したので、田中支店長は、被控訴人の定期預金を担保に提供すれば、その預金額の範囲内であれば、本部の決裁を要しないことから、右申し入れについて検討することを約した。
2 次いで、同月一四日午前一一時頃、宮崎社長および三浦隆一が控訴銀行別府支店を訪れ、右三浦隆一より、土地購入資金として金八〇〇万円を借受けたいとの申し入れがなされたので、田中支店長は右両名と相談のうえ、被控訴人が同支店に預け入れる金八〇〇万円の定期預金を担保に、三浦隆一に対し、金八〇〇万円を、期間二か月の約定で、手形貸付の方法により融資することとなったが、宮崎社長の強い要望もあって、三浦ハツヱの別紙目録記載の不動産についても、極度額一、〇〇〇万円の根抵当権を控訴人のために設定することとした。田中支店長は右金員の借主名義を申し入れどおり三浦隆一としてもなんら支障はなかったのであるが、その際、三浦隆一から、将来は、妻の三浦康恵名義で別府市で経営しているスナックの店舗改装費用の融資をもお願いしたいとの話があり、また一週間程前にも、別府市の井口スポーツ店の店主から三浦隆一に右店舗改装費用として金一、〇〇〇万円を融資して貰いたいとの話があっていたので、田中支店長から右費用の融資を受けるには、右スナックの営業名義人の名義で借受けた方がよいので、書類上の実績を作るためには、本件貸付金の借主名義を書類上は妻の三浦康恵とした方がよいのではないかとの勧めがあったので、宮崎社長と相談のうえ、借主名義を形式上三浦康恵とすることに同意した。またその時、田中支店長は大坪係長に前記不動産を評価のため見分に赴かせたところ、同係長は同不動産を金一、〇〇〇万円相当の価値あるものと査定し、その旨田中支店長に報告した。
3 同日午後、被控訴人は前記約定に基づき、金八〇〇万円を控訴銀行別府支店に定期預金として預け入れ、右定期預金を本件貸金債務の担保に供し、これが履行されないときは、いつでも控訴人において相殺しうることに同意するとともに、相互銀行取引約定書、約束手形等の作成に取り掛ったところ、三浦隆一は三浦ハツヱと自称する老女を同道し、同女は本件約束手形の振出人欄、相互銀行取引約定書に連帯保証人欄、本件根抵当権設定契約証書の根抵当権設定者兼連帯保証人欄、根抵当権設定用担保提供承諾書の担保提供者欄、登記委任状等の根抵当権設定者欄等にそれぞれ三浦ハツヱと署名押印した。また三浦隆一は右約束手形の振出人欄、相互銀行取引約定書の主債務者欄にそれぞれ三浦康恵と署名するとともに、併せて右手形の振出人欄に三浦隆一と連署し、宮崎社長も被控訴会社代表者として、右手形の振出人欄および相互銀行取引約定書、根抵当権設定契約証書の連帯保証人欄にそれぞれ署名捺印した。田中支店長は、大坪係長を宮崎社長、三浦隆一に司法書士小林政太郎事務所まで同道させて、前記不動産に根抵当権設定登記手続をすることを委任させ(宮崎社長の要望により停止条件付賃借権設定仮登記手続をすることも併せて委任した)、ついで、大坪係長に命じて、貸付金八〇〇万円のうち天引利息、印紙代等を控除した金七九六万二、一六九円を三浦康恵名義の普通預金口座を設けて振替入金させるとともに、同日三浦隆一の三浦康恵名義による払戻請求に応じ、金七九五万円を出金し、宮崎社長は同日三浦隆一よりそのうち金七〇万円を仲介手数料として受領した。
4 前記不動産にかかる根抵当権設定登記申請書は翌一五日に大分地方法務局別府出張所に提出されたが、三浦ハツヱの印鑑証明書の印影と右申請書に添付された委任状の同人名下の印影とが異なるところから、右委任状は偽造文書であることが発覚し、右申請は却下された。
5 そして三浦隆一と名乗った男は、実は本名を播口隆と云い、昭和四六年七月頃から三浦康恵と別府市内のアパートで同棲し、同人の営むスナックの手伝をしていたが、康恵の実母で同じアパートの別室に住む三浦ハツヱ方から前記不動産の登記済権利証と別の用途で交付を受けていた同人および三浦康恵の印鑑証明書および三浦康恵の実印を盗み出したうえ、右ハツヱ、康恵に無断で前記書面を作成したものである。また、三月一四日に三浦ハツヱと名乗って控訴銀行に出頭した老女も三浦ハツヱとは全く別人であって、同人の使用した印鑑は三浦ハツヱに無断で偽造されたものである。なお播口は金員を受領した日の翌日である昭和四八年三月一五日に行方不明となり、現在警察から全国に指名手配中である。
以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》
以上認定の事実によれば、田中支店長は、当時、三浦隆一(本名播口隆、以下同じ)は大阪で鉄工場を経営する傍ら、別府市で妻の三浦康恵名義でスナックを経営しているものと思っていたものであり、また本件貸付金は三浦隆一が土地購入資金として借受けるといっていたのであるから、その返済も当然同人がするものと考えていたところ、同人から、将来右店舗の改造費用を借受けたいとの要望があったので、同支店長は右資金を借受けるには、同店舗の営業名義人である三浦康恵名義で借受けた方がよく、そのためには、書類上同人名義で実績をあげておく必要があり、本件貸付金の借主名義も書類上は同人名義とした方がよいと考え、その旨三浦隆一に勧めたところ、同人は宮崎社長と相談のうえ、借主名義を形式上三浦康恵とすることに同意したものであること、そして、三浦隆一は当初から自分で借受けるつもりで金員借受けに必要な一切の行為をして来たものであり、借主名義変更後も、右金員の真実の借主は自分であると考えていたものと認められるから、これらの事情よりすれば、本件消費貸借における真実の借主は三浦康恵ではなく、三浦康恵こと三浦隆一であると認めるのが相当である(もっとも、前掲乙第一八号証の約束手形の振出人欄には三浦康恵の記名押印のほかに三浦隆一の署名押印があるが、前記認定の事実によればそれは真実の借主が三浦隆一であることから、同人をも共同振出人に加えたものと推認される)。
三 次に被控訴人の錯誤の主張について判断するに、前記認定の事実によれば、被控訴人が本件消費貸借につき連帯保証をしたのは、本件貸金債務の担保として、三浦ハツヱが同人所有の不動産に対し、控訴人のために根抵当権(極度額一、〇〇〇万円)を設定することを田中支店長に特に要望し、同支店長もこれを承諾したので、主債務者が債務の支払を怠った場合にも危険はないと信じたからであること、しかるに、右根抵当権の設定契約は三浦ハツヱ不知の間に、第三者と控訴人との間において締結された無効のものであることが認められるから、被控訴人と控訴人間の本件連帯保証契約はその意思表示の要素に錯誤があるものというべきである。
しかしながら控訴人としては、前記根抵当権の設定は、被控訴人において定期預金を担保に提供するというのであるから、必ずしもこれを必要としなかったのに、万一の場合を考えた被控訴人の強い要望によってなされたものであることはすでに説示したとおりであるから、かゝる場合には、特に被控訴人においても、その設定手続に過誤なきよう注意すべき義務あるものというべきところ、《証拠省略》によれば、被控訴人において右根抵当権の設定についてなんら調査をしていないのに、宮崎社長は「自分の方で調査しているから心配はない。」など田中支店長に申し向けて、かえって控訴人の右根抵当権設定に関する調査の意欲を減殺させるような言辞を弄したことが窺われるのみならず、《証拠省略》および前記認定の事実によれば、三浦ハツヱと自称する者が、根抵当権設定登記申請書に添付の委任状に押捺した印鑑の印影と三浦ハツヱの印鑑証明書の印影とが異なることは、通常の注意をもってすれば、肉眼でも容易に判別できた(法務局の係官が右印影の相違を発見したことはすでに認定したとおりである。)のに、被控訴人はその注意を怠ってこれを看過したことが認められるから、これらの事実と、被控訴人の営業目的等前記認定の諸事実を併せ考えると、被控訴人は前示保証行為の意思表示をなすについて重大な過失があったものと認めるのが相当である。しかして、被控訴人は自ら保証行為の錯誤による無効を主張することはできないものといわねばならない。
すると、本件貸金債務の担保として振出された本件約束手形における被控訴人の手形行為についても、その原因関係を欠くものとはいえないから、被控訴人はその無効を主張することはできないものというべきである。
また、たとえ被控訴人の錯誤の主張のなかに定期預金担保の約定も同様であるとの主張が内含されるとしても、その理由のないことは前説示からして自から明らかである。
四 そして《証拠省略》によれば、三浦隆一は前記のごとく本件金員借受後行方不明となり、弁済期日の昭和四八年四月三日を徒過しても、その支払をしないので、控訴人は本件貸付金八〇〇万円のうち金一万二、一六九円と、三浦康恵名義の普通預金口座に残存していた金一万二、一六九円とをまず相殺し、次いで残金七九八万七、八三一円の債権と被控訴人の前記定期預金八〇〇万円の元本債権とを対当額で相殺したこと(前認定のとおり相殺の意思表示のあったこと自体は当事者間に争いがない)、その結果残った被控訴人の定期預金債権、すなわち元本残金一万二、一六九円と利息金七、〇七九円(元金八〇〇万円に対する昭和四八年三月一四日より同年四月一日までの年三分七厘五毛の割合による利息金より利子所得税金一、二四九円を控除したもの)は、控訴人において同年四月四日被控訴人の当座預金に振込入金し、その頃その旨被控訴人に通知したことが認められる。
そうだとすると、被控訴人の定期預金債権は既に消滅しているので、これが払戻を求める請求は理由がなく失当であるといわなければならない。
五 次に、被控訴人は、本件消費貸借の不成立を理由に、控訴人と被控訴人間において(イ)昭和四八年三月一三日付相互銀行取引約定書および同年三月一四日付根抵当権設定契約証書に関する被控訴人の控訴人に対する連帯保証債務並びに(ロ)原判決添付別紙目録記載の約束手形に関する被控訴人の控訴人に対する保証債務の各存在しないことの確認を求めるけれども、(イ)については、本件消費貸借が控訴人と三浦康恵こと三浦隆一間に有効に成立したことはすでに説示したとおりであるから、右(イ)の請求はすでにその前提において失当であり、また(ロ)の請求についても、本件約束手形の原因となるべき控訴人、被控訴人間の連帯保証契約が無効といえないことはさきに説示したとおりであるから、被控訴人の債務不存在確認の請求はいずれも理由がないものといわねばならない。
六 そこで進んで、控訴人の民訴法第一九八条第二項の原状回復および損害賠償を求める申立について判断する。
被控訴人が原判決に付された仮執行の宣言に基づき昭和五〇年四月一四日控訴銀行大分支店の現金八九六万三、二七〇円の仮執行をなして、これが給付を受けたことは当事者間に争いがなく、原判決と弁論の全趣旨によれば、右金員の内訳は元金八〇〇万円と、これに対する昭和四八年三月一四日から同年六月一四日まで年三分七厘五毛の、同月一五日から昭和五〇年四月一四日まで年六分の各割合による金員の合計金八九五万五、八二一円およびその執行費用であると推認できる。
ところで、原判決が取消を免れないことは前説示のとおりであり、原判決に付された仮執行宣言はその効力を失うことは論をまたないから、被控訴人は控訴人に対し、右金八九六万三、二七〇円とこれに対する右支払の日の翌日である昭和五〇年四月一五日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるといわなければならない。
七 以上のとおりだとすると、原判決は不当であるからこれを取消して被控訴人の請求を棄却し、また控訴人の本件申立は正当であるからこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法第九六条、第八九条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中池利男 裁判官 鍬守正一 原田和徳)
<以下省略>